東京地方裁判所 平成3年(ワ)12590号 判決 1992年12月22日
原告
甲野一郎
被告
株式会社双葉社
右代表者代表取締役
鈴木清
右訴訟代理人弁護士
原誠
同
小島敏明
同
橘節郎
主文
一 被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の申立て
一 原告の請求
被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告の答弁
1 (本案前の答弁)
原告の請求を却下する。
2 (本案の答弁)
原告の請求を棄却する。
第二 事案の概要
本件は、いわゆるロス疑惑事件で世間の耳目を集めていた原告について、被告会社発行の週刊誌の掲載した、SM嬢(サドマゾプレイ(加虐被虐性愛行為)により男性を接待する職業の女性)、ニューハーフ(女装して男性を接待する職業の男性)などが原告を相手として経験した性愛行為等の内容を、これらの女性等による座談会形式の告白として記載した記事が原告の名誉を毀損するものであるとして、原告から金五〇〇万円の損害賠償を求める事案である。
一 争いのない事実等
被告は、雑誌、書籍の出版等を目的とする株式会社であって、「週刊大衆」を発行しているところ、昭和六〇年九月三〇日発行の「週刊大衆」(一九八五年(昭和六〇年)一〇月一四日号。以下「本件記事掲載誌」という。)の四六頁から五〇頁にかけて、「証言構成座談会 甲野一郎はアタシの前でこうして果てた!―女ったらし人間の下半身からみたテッテイ的性格分析」とのタイトルの記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。本件記事には、「甲野一郎に口説かれたり、プレイ体験をもつ女性は少なくない。その性的関係は十人十色だが、みんな甲野の下半身の証人なのだ。そこで今回は、彼女たちの証言をもとに、座談会スタイルでスケベ人間・三浦を大解剖!!」とのリード部分に続き、本文として、座談会形式で、ルポライター木村佳子及び元女優樋口のり子の各発言として、羽田空港待合室、都内港区の喫茶店等で原告から口説かれた状況、マリファナ吸引を誘われた状況等を、SM嬢藤サトミの発言として、同女が原告の肛門を愛撫し、その身体上に放尿したら原告が喜悦した状況等を、ニューハーフ島津裕理の発言として、同人のマンションの一室を訪ねてきた原告と性愛行為をした状況等を、それぞれ描写した内容を含む文章が記載されている(本件記事の発行日につき杉山証言、本件記事の内容につき甲第一号証。その余は当時者間に争いがない。)。
二 本件における争点及び争点についての当事者の主張
1 別件和解の本件訴訟に及ぼす影響
(一) 被告
原告は、既に平成三年七月二三日、東京地方裁判所民事第一五部に係属する同庁平成二年ワ第一五四四九事件において、被告との間に、裁判上の和解(以下「別件和解」という。)をした。原告及び被告は、右和解において、原告に関する被告の一連の報道を対象として和解をしたものである。したがって、原告の本訴請求は、別件和解の既判力に抵触するものであって、却下されるべきものである。
仮に別件和解の内容が、直接には本件記事を対象としていないとしても、原告が侵害されたと主張している「社会的評価」ないし「名誉」は、特定の個人が対社会的に継続して認められるところの権利であって、仮に一連の報道記事がそれを侵害することがあったとしても侵害法益は一個であって、個別の人格権に対して別個独立に行われた侵害と評することはできないから、一連の報道記事の一部について既に別件和解が成立している以上、原告の本訴請求は理由がなく、棄却されるべきである。
(二) 原告
別件和解は、被告の一連の報道を対象としてなされたものではない。別件和解については、和解に先立って、原告から当該事件の審理を担当する東京地方裁判所民事第一五部に対して、「原告は右事件で審理されている当該記事のみに限定して和解することに同意するものであるから和解条頂上もその旨を明らかにする記載をしてほしい」旨の上申書(甲第二号証)を提出しており、和解期日において被告訴訟代理人も同席の協議の席上、原告の右上申書の内容を説明して、被告訴訟代理人がこれを了承して和解が成立したものである。別件和解調書(乙第一号証)には、右趣旨に基づき、清算条項に「本件記事に関し」という文言が記載されている。
原告を誹謗中傷する報道については、記事の内容、構成、取り扱っている事柄等により、また、別の号に掲載されたまったく別個の記事であるかどうかなどにより、その不法行為が別個のものであることは、多言を要しない。このことは、現在までに原告が誹謗中傷記事につき損害賠償を請求して東京地方裁判所に提訴した事件については、新聞社、出版社等同一の被告による複数の記事について、それぞれ別個の判決が言い渡され、別個の和解が成立していることからも、明らかと言うべきである。
2 本件記事の違法性等
(一) 原告
本件記事は、原告がしてもいない性的交渉を持ったとしたり、原告があたかも性的倒錯者であるかのように記述したもので、虚偽の事実を記載したものである。また、仮に、原告がどのような性的生活を送っていようとも、それは原告の私事に関わることであり、真偽にかかわらずそのような私的事柄を公表することが許されるはずもない。本件記事は、きわめて低俗なのぞき見的興味に奉仕する下劣な内容であり、原告の名誉を毀損するとともに著しく侮辱するものである。
(二) 被告
(1)(本訴請求の不当性)
原告の本訴請求はその主張する内容自体理由がないが、仮に、原告主張のように真実に相違し、これにより損害を被ったというのであれば、損害賠償請求は原告との性的体験ないし交友のあったことを主張する女性達(本件記事において座談会出席者として記載されている者)に対して向けられるべきであって、右女性達の座談会記事を掲載したにすぎない被告に対してのみ損害賠償を求めるのは失当である。
(2)(原告のプライバシーの放棄)
原告は、自ら、対マスコミ関係に対し、自己の性的行動、関心を誇示したり、その取材活動、憶測記事を誘発、誘引する行為を行っており、その範囲で自らプライバシーを放棄してきたものであるから、本件訴訟において、本件記事が市民としてのプライバシーに関するものであることを自己に関して援用する権利を有しないものである。
3 消滅時効
(一) 被告
本件記事掲載誌は昭和六〇年九月三〇日に発行されたものであり、原告は、右当時本件記事の存在を知っていたものである。したがって、右の時点から五年の経過により、原告の請求権は時効により消滅したものである。
(二) 原告
原告は、本件記事掲載誌の発行当時においては、被疑者として警視庁に勾留され、接見禁止に付されて、すべての文書、書籍、雑誌等の閲覧を禁止されていたものであるから、右当時、本件記事の存在を知っていたはずがない。
原告は、平成三年八月初めに、友人から本件記事のコピーの送付を受けたことにより、初めて本件記事の存在を知った。
いずれにしても、被告は、消滅時効を援用しようとするのであれば、原告がいつ、どこで、どのようにして、本件記事の存在及び内容を知ったのかを、具体的事実として、主張し、証明する責を負うものである。
第三 当裁判所の判断
一 別件和解の本件訴訟に及ぼす影響について
証拠(乙第一号証、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被告を相手方として東京地方裁判所に損害賠償訴訟(同庁平成二年ワ第一五四四九事件)を提起していたところ、平成三年七月二三日、同庁民事第一五部において、右事件につき、別件和解が成立したことが認められるが、乙第一号証によれば、右和解における和解条項は、その文言上、被告発行の「週刊大衆」昭和六〇年一一月二五日号及び同年一二月二日号に掲載した原告に関する記事を対象として定められたものと認められ、右和解におけるいわゆる清算条項においても、「本件記事に関し」という限定が付されていることが認められる。右によれば、別件和解は、「週刊大衆」昭和六〇年一一月二五日号及び同年一二月二日号に掲載された記事についてなされたもので、本件訴訟において対象とされている本件記事については、原告被告間で何らの合意にもなされていないものというべきである。なお、証拠(甲第二号証、原告本人尋問の結果)によれば、右和解に先立って、原告から同庁民事第一五部に対して、「原告は別件和解は訴訟の対象となった記事のみに限定して和解するものと解して、和解に同意しているものであるから、その旨を和解条項上明らかにし、清算条項にも『本件記事につき』という文言を付してほしい」旨の上申書(甲第二号証)を提出し、右上申書の趣旨に沿って、前記のとおり、別件和解における清算条項には、「本件記事に関し」という限定文言が付されたことが認められる。右によれば、別件和解においては、本件訴訟において対象とされている本件記事については、何らの合意もされていないものと認められるから、本件訴訟の提起が、別件和解の既判力に抵触する旨の被告の主張は失当である。
また、被告は、別件和解が本件記事を対象としていないとしても、社会的評価ないし名誉は社会的に継続して認められる権利であるから、一連の報道記事によってそれが侵害された場合にも侵害された法益は一個であり、一連の記事の一部について既に別件和解が成立している以上、本件訴訟は失当であると主張する。なるほど、新聞、週刊誌等において同一の主題についての記事を複数回に分けて一連の連載記事として近接する複数の号に掲載するような場合には、複数回に分けて掲載された記事が全体として一個の思想上の内容をあらわす著作物と評価し得ることもあり、そのような一連の記事によって名誉を害された場合には、全体として一個の侵害行為が行われたものと解すべきものであろう。しかし、たとえ同一の新聞、週刊誌等において近接した日時に発行された号に同一の人物についての記事がそれぞれ掲載された場合であっても、これらの記事の間に全体として一個の著作物と評価されるような特別な事情のない限り、それぞれ別個独立した複数の侵害行為がなされたものと解するのが相当である。前記のとおり、本件訴訟において対象とされている本件記事は、「週刊大衆」昭和六〇年一〇月一四日号に掲載されたものであり、他方、別件和解の対象となったのは「週刊大衆」昭和六〇年一一月二五日号及び同年一二月二日号に掲載された記事であって、これらの記事は、近接した時期にいずれも被告発行の「週刊大衆」に掲載されたものではあるが、これらの記事が連載記事として全体として一個の著作物と評価されるようなものであったことを窺わせる事情は本件においては何ら認められず、本件記事(甲第一号証)を子細に検討しても、本件記事が一連の連載記事の一部として作成され掲載されたものとは、とうてい認められない。したがって、この点についての被告の主張は、その前提を欠き、失当というべきである。
二 本件記事の違法性等について
前記認定のとおり、甲第一号証によれば、本件記事の内容は、「証言構成座談会 甲野一郎はアタシの前でこうして果てた!―女ったらし人間の下半身からみたテッテイ的性格分析」とのタイトルのもとに、座談会形式で、元女優、SM嬢等の発言として、原告からマリファナ吸引を誘われた状況、原告との性愛行為の状況等を記載したものである。右のような記載内容に照らせば、本件記事は、きわめて低俗な興味本位の記事であって、原告に関して「女ったらし」「スケベ人間」等の侮蔑的な表現が記載されているほか、その内容の多くの部分が原告との性愛行為の状況を事細かに描写したものであり、その内容が真実であるかどうかにかかわらず、原告の人格的評価ないし社会的評価を侵害するものというべきである。
被告は、原告が本件記事により損害を被ったというのであれば、損害賠償請求は原告との性的体験ないし交友のあったことを主張する女性達(本件記事において座談会出席者として記載されている者)に対して向けられるべきであって、右女性達の座談会記事を掲載したにすぎない被告に対してのみ損害賠償を求めるのは失当であると主張する。証人杉山浩の証言によれば、本件記事は、実際に右女性等四名を一堂に集めて座談会を行ったうえで、各人の発言内容を座談会形式に再構成して作成したものであることが認められる。しかしながら、仮に予め自己の発言内容が記事として週刊誌に掲載されることを認識したうえで、本件記事に記載されているような内容の発言をした場合に発言者が原告に対してどのような責任を負うかはともかくとして、その内容が前記認定のとおり被告の人格的評価ないし社会的評価を侵害するものであることを認識しながら、これを本件記事として構成してその発行する週刊誌に掲載した被告が、原告に対して損害賠償の責任を負うのは、当然であって、原告が右女性等四名に対してどのような対応をしているかは、被告の責任に影響を与えるものではない。したがって、被告の主張は失当である。
また、被告は、原告は自ら進んで対マスコミ関係に対して自己の性的行動、関心を誇示したり、その取材活動、憶測記事を誘発、誘引する行為を行って、プライバシーを放棄してきたものであるから、本件訴訟においてプライバシーを云々する権利を有しないと主張する。なるほど、被告の指摘するように、株式会社マガジンハウス発行の雑誌「ブルータス」(一九八五年一一月一日号)(乙第二号証)には、その表紙に「ああ無情! 甲野一郎最終カット『SM緊縛天狗殺し』」の記載があり、「元禄音頭」なる題名の作家団鬼六の文章の挿絵として、原告が半裸体で緊縛されている写真等が掲載されていることが認められ、原告本人尋問の結果によれば、右写真は原告が自らモデルとして撮影に応じたものであることが認められる。しかしながら、右のような事情が認められるからといって、原告がすべての点について自己のプライバシーを放棄していたものと認めることはできず、被告の本件記事の掲載が正当化されるものではない。右のとおり、この点についての被告の主張もまた失当である。
三 消滅時効について
被告は、本件記事掲載誌の発行された昭和六〇年九月三〇日当時において原告は本件記事の存在を知っていたから、右の時点から五年の経過により原告の請求権は時効消滅した旨を主張する。なるほど、前記のとおり、証人杉山浩の証言によれば、本件記事掲載誌が昭和六〇年九月三〇日に発行されたことが認められるが、原告は、本人尋問において、右当時原告は被疑者として警視庁に勾留され、接見禁止に付されてすべての文書、書籍、雑誌等の閲覧を禁止されていたから本件記事の存在を知り得るものではなく、本件記事は、平成三年八月下旬に友人から本件記事のコピーの送付を受けたことにより初めてその存在を知った旨を、供述している。いずれにしても、原告本人の右供述を除いては、原告が本件記事の存在を知った日時を窺わせる事情は何ら認められないものであるから、被告の消滅時効の主張は、採用することができない。
四 損害額について
以上によれば、原告は、本件記事により、その名誉を毀損されたものと認められるところ、前記のような本件記事の内容に加えて、本件訴訟において証拠上認められる一切の事情をも総合考慮すれば、原告が本件記事の掲載によって被った精神的苦痛に対する慰謝料としては金一〇〇万円をもって相当というべきである。
五 よって、原告の本訴請求は、金一〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度において理由がある。仮執行宣言につき民訴法一九六条一項、訴訟費用の負担につき同法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官三村量一)